初代ガンバさんの思い出


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初代ガンバさんは2012年2月5日の夜8時半、当時かかりつけの動物病院で、猫エイズと腎不全のため、獣医さんに看取られ虹の橋を渡りました。行年17歳でした。

このガンバさんほど多くのにんげんに愛され、たくさんの懐かしい思い出を皆の心に刻んで旅立った猫も珍しいそうです。ガンバさんは僕の飼い主宅に引き取られた最初の猫でした。病魔と闘い、遂には力尽きて虹の橋を渡ってしまいましたが、飼い主宅で1年11ヶ月共に暮らしました。そしてその間、ガンバさんを励ますため、多くのにんげんの皆様がガンバさんを訪ねて来てくださいました。

ガンバさんファンの皆様、長らくお待たせいたしました。初代ガンバさんの登場です。皆様それぞれのガンバさんとの懐かしい思い出と照らし合わせ、ここであらためてガンバさんを偲んで頂ければ、ガンバさんもきっと虹の橋の向うで喜んでいることでしょう。

 

飼い主からのお詫び:

初代ガンバを思い出すとその思い出が尽きず、纏めるのに時間がかかり今日に至ってしまいました。初代ガンバファンの皆様、本当にごめんなさい。

 
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初代ガンバさんは元々飼い猫でしたが、千葉県某市の大きなお寺にある龍王池の近くに捨てられていたところを、最初はお寺の方たちに保護されました。捨てられた時は既に成猫だったガンバさんは、信じていた飼い主に捨てられたことが相当ショックだったらしく、木の上に登り3日間降りてきませんでした。「おいしいご飯をあげるから降りておいで!」と皆が叫んでも頑なに拒否し続けていましたが、お腹が空いて目が回ったらしく、3日目にとうとう観念して降りてきたそうです。それからはお寺の人たちや地域猫のボランティアさんたちに面倒を見てもらっていましたが、八大龍王様のお堂を守る管理人としての役目も果たしていたそうです。

 

注釈:

ガンバさんはお寺の方たちからは「にいにい(お兄ちゃんという意味)」と呼ばれていました。「ガンバ」という名前は、猫のボランティアさんが、「共にがんばろう」という意味をこめて付けた名前だそうです。

 

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yohaku撮影:後藤裕司さん


ガンバさんはお寺に住み始めると忽ち頭角を現し、地域猫たちのボスとしての地位を固めました。食餌の時に仲間の猫たちが来ないと、ものすごい唸り声を上げて猫たちを呼んでいたこともあったそうです。またガンバさんはとっても面倒見がよく、弱い猫に対して飼い犬をけしかける人がいると、仲間を守るためただ一匹で果敢に犬に向っていき、追い払ったこともありました。また、当時最初にお世話になっていた初老の獣医さんも、龍王池近くに来ると必ず「ガンバいるか!」と声をかけていましたし、ガンバさん目当てに八大龍王様のお堂へ参拝に来る方たちも後を絶たなかったそうです。


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yohaku撮影:後藤裕司さんyohaku撮影:後藤裕司さん


大好きだったのんちゃんと一緒に。のんちゃんも猫のボランティアさんに引き取られ療養生活を送っていましたが、ガンバさんより1年早く虹の橋を渡りました。


しかし、ガンバさんは発症した猫エイズが悪化し、外猫として生活するのが難しくなっていきました。猫エイズは死に至る病で、決して治ることはありません。当時の地域猫のボランティアさんが、ガンバさんを不憫に思い、せめて畳の上で死なせてあげたいとの思いから、僕の飼い主へ一頭飼いで飼ってもらえないかと打診してきたそうです。僕の飼い主もガンバさんを初めて見た時、「この猫はうちへ来る」と直感的に思っていたので、快く引き受けました。こうしてガンバさんは、僕の飼い主の家で再び飼い猫として生活することになりました。


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当時僕の飼い主は都心のマンションに住んでいたので、ガンバさんの東京都民としての生活がスタートしました。ガンバさんはにんげんが大好きだったので、マンションでも管理人さんを始め多くの住人の方たちに大変可愛がられました。飼い主宅を訪ねてくる人たちの前で、ガンバさんはいつもへそ天状態で甘えていたそうです。特に管理人Mさんは大の猫好きで、毎朝ガンバさんが共有廊下側にあるお部屋の窓辺に座っていると、「ガンバ君、今日は元気かな」と必ず声をかけてくださいました。ガンバさんも管理人Mさんに会うのが嬉しくて、毎朝Mさんを待っていたとのことでした。そのMさんも2011年2月末に自宅で急死なさいました。ガンバさんは飼い主から、「ガンバ、Mさんは亡くなったからもう会えないよ」と言われても、Mさんの死去から1週間、毎朝ずっと窓辺に座りMさんを待っていたとのことです。


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東京都民になってから、ガンバさんは近くの動物病院へ猫エイズの治療に通っていました。しかし、途中から病院へ連れて行こうとすると、押入れに隠れて出て来なくなり、無理に引っ張り出そうとすると、猫パンチを連打し手がつけられなかったそうです。どうしてもその病院へ行こうとしないので、飼い主が困って、「それじゃ、前の先生の所へ行く?行くんだったら出ていらっしゃい」と言うと、しぶしぶ出てきたそうです。それ以来、ガンバさんは車で首都高速を通り、千葉県にある元の動物病院まで頻繁に治療に通うことになりました。その後、ガンバさんは虹の橋を渡るまで、大好きなその獣医さんにずっとお世話になりました。


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ガンバさんの好物は大間のまぐろでした。お寺にいる時に参拝に来る人たちからもらって味を占めたようです。外猫時代ににんげんの食べるものをたくさんもらっていたらしく、味覚は抜群(猫としては最悪)、猫缶やカリカリはあまり好きではありませんでした。飼い主たちがお魚や肉類を料理して食べようとすると、ガンバさんの目が点になってそれを目掛けて襲ってくるので、恐ろしくて家ではお魚や肉類を料理して食べることはできなかったそうです。

ガンバさんは既にエイズを発症していましたが、一旦非常に良くなりました。皆がこのまま一進一退の状態で推移してくれればと祈ったのもつかの間、亡くなる半年前から腎不全を併発し、毎日病院か自宅で点滴注射をしてもらっていました。そして亡くなる2ヶ月前から病院への入退院を繰返し、最後は入院したその夜に、獣医さんに看取られ虹の橋を渡って行きました。獣医さんから心肺停止状態との電話をもらい、飼い主たちはすぐに病院へかけつけましたが間に合いませんでした。心電図モニターの波形が横一直線になり、もう息を引き取っている状態だったのに、それでも獣医さんは泣きながら20分間ほど甦生を試みていたとのことでした。


虹の橋を渡る前日の写真。

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ガンバさんの葬式ですが、猫の葬儀としては盛大なものだったようです。当時はガンバさんファンが多く、またガンバさんは「伊達龍太郎」というハンドルネームを使い、当時人気のあった某猫ブログにも時々参加しており、そこでも人気者でした。ガンバさんは、多くの知らない人たちのブログでもよく紹介されていました。

葬式当日、にんげんの参列者は5名、僧侶による生の読経もあり、お骨も皆で拾ったとのことでした。その後初七日や四十九日供養を行いました。当日出席できなかったボランティアさんたちも、時間を見つけては代わる代わるお線香をあげにきてくださいました。四十九日供養の時、ガンバさんは、捨てられた時最初にお世話になったお寺のお上人に読経して頂きました。お上人は「にいにいかぁ・・・」と感慨深げでした。きっとガンバさんも、大好きなお寺の方たちと再会できて嬉しかったと思います。ブログ仲間の方からの供花も含め、ガンバさんの遺影は1ヶ月間ほどガンバさんファンの方から頂いたたくさんのお花で埋まっていたそうです。


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ガンバさんは僕の飼い主に引き取られましたが、ガンバさんが心から会いたかった人がひとりいました。ガンバさんがお寺の龍王池に捨てられた時に、真っ先に手を差し伸べ、その後もガンバさんをご自分のお部屋に入れてくださった、お寺の世話係のTさんです。都心のマンションに住んでいた時、一度だけTさんがガンバさんに会いにきてくださいました。その時のガンバさんの喜びようといったらなく、ずっとTさんに寄り添い離れなかったそうです。

(ガンバさんは車が大好きな猫でしたが、車の中から中年の男性を見つけると、その後姿が小さくなりついには見えなくなるまで、じっと見つめていたそうです。最初飼い主たちは、「きっと最初の飼い主さんが懐かしくて、心の中で探しているのだろう」と思っていたそうですが、そうではなく、ガンバさんが心の中で必死に探していたのはTさんだったのです。きっと捨てられた時に、最初に援助の手を差し伸べてくださった優しいTさんのことが忘れられなかったのでしょう。)

ガンバさんが虹の橋を渡ってまもなく、そのTさんが抱えきれないほどたくさんのお花をもって、ガンバさんの遺影にお線香をあげに来てくださいました。その時のTさんの姿が「男はつらいよ」に出てくる車寅次郎さんに瓜二つで、「本当にかっこよかった」と飼い主たちは述懐していました。背も高く身体はがっしりしていて、背広姿に下駄履き、たくさんの美しい花束を抱えた中年の男性を想像してみてください。Tさんって素敵だな、と僕も心から思いました。

ガンバさんの遺骨は、他県にあるお寺のお墓の中に納められています。そしてそこにはさっちゃんやたーちゃんの遺骨も同様に納められています。


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初代ガンバさん、はじめまして!僕は一度もガンバさんにお会いしたことはなかったのですが、噂はいつも耳にしています。いろいろな逸話を耳にすると、僕もガンバさんが大好きになり憧れますニャー。僕はどことなくガンバさんに似ているということで、ガンバ二世と名付けられました。光栄です。ガンバさんの顔に泥を塗らないよう(もう塗っているかもしれないけれど)、僕なりに頑張りますので、どうか虹の橋の向うから僕たち後輩ニャンコのご支援をよろしくお願いしますニャー。

ガンバ二世






(平成26年7月29日)