虹の橋のお友達

虹の橋を渡ったお友達を紹介します。みな僕の先輩たちですが、虹の橋のかなたから僕たちネコを優しく見守ってくれている、と僕は勝手に解釈して安堵しています。

たーちゃん

たーちゃんは2013年8月22日の早朝、当時かかりつけの動物病院で獣医さんに看取られ虹の橋を渡りました。行年18歳でした。たーちゃんの名前の由来は、どことなくぬきに似ている、キシードを着ているみたい、びを履いているみたい、からきています。


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yohaku撮影:芳澤ルミ子さん


僕はたーちゃんと半年近く、千葉県某市にある市の庭園でともに地域猫として暮しました。たーちゃんは僕の父親のような存在であり、いつも僕を庇ってくれました。どんなに寒い夜でも、たーちゃんと一緒に丸くなって寝ていると僕は幸せでした。たーちゃんは僕にとって忘れることのできない恩人(恩猫?)です。僕の大好きなたーちゃんのことを話すときりがありませんが、ここではたーちゃんのほんの一部をご紹介しますね。


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yohaku撮影:萩原敏男さん


たーちゃんは元は飼い猫だったそうです。(庭園を訪ねてきた、たーちゃんをよくご存知の方が話してくださいました。)

たーちゃんが庭園に住みつくようになったのは、今から4年ほど前。飼い主のおばあちゃんが心臓の病で急死なさった後です。このおばあちゃんの子供夫婦が同じ家で暮していたのですが、大の猫嫌いで、おばあちゃんが亡くなるとすぐにたーちゃんを家から追い出してしまいました。おばあちゃん亡き後、たーちゃんのことが近所で評判になり、「あの猫どうなったのか」と皆が心配していたとのことです。


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yohaku撮影:萩原敏男さん


どうにか市の庭園にたどり着いた時は、たーちゃんは食べ物を食べる力もなく、心配したにんげんたちが食餌を運んできても、虚ろに寝ながら食べていました。あまり長くは生きられないかもしれない、と当時関わったにんげんたち(ボランティアさんを含め)は感じたそうです。

でもにんげんたちの献身的な看病のお陰で、たーちゃんは元気になりました。たーちゃんは飛び抜けて頭がよくて統率力があり、容姿端麗、性格も穏やかな猫だったため、たちまち庭園内では一番の人気者になりました。たーちゃんを目当てに庭園を訪れるにんげんたちが後を絶たず、ブログやホームページにも頻繁に登場していました。華のある、画になる猫だったそうです。


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yohaku撮影:萩原敏男さん


僕は2012年6月のある日、同じ地域猫の華ちゃんに連れられ、初めて庭園にやってきました。他の猫たち(13頭)は、よそ者の僕を追い払おうとして僕を追いかけ虐めにかかりましたが、当時ボランティアの一人だった今の飼い主が、僕に亡くなった初代のガンバさん(このガンバさんも近日中に紹介します)の面影を見つけ、いずれ僕を引き取るつもりで、他のボランティアさんとともに僕の面倒を見てくれることになりました。そして庭園のボス猫であったたーちゃんに、僕のことを守ってほしいと1週間頼んだそうです。たーちゃんはワイロ(食べ物)に弱いという非常に判り易い性格の猫でした。「たーちゃんに一番おいしい缶詰を他の猫たちよりたくさんあげるから、ガンバ(僕もガンバ2世と名付けられました)のことをお願いね!」と頼んだらしいです。たーちゃんはにんげんの言葉を理解できたので、その後たーちゃんが庭園にいる間はずっと僕を守ってくれました。他の猫たちもたーちゃんの前では非力で、皆たーちゃんに従っていました。だから、庭園にたーちゃんがいた時は、たーちゃんの指示の下、猫たちはまとまって行動できました。


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yohaku撮影:目黒さん


しかし、元々飼い猫だったたーちゃんの里親を見つけるため、ボランティアさんたちは動物病院、ペットショップ等、つてを頼って大々的にたーちゃんの里親探しをした時もありました。複数のにんげんが里親に名乗りをあげてくださいましたが、結局ご縁がなくこの話は破談になりました。

その後もたーちゃんと僕たち猫は、庭園内で楽しく暮していました。たーちゃんは人間の言葉を理解する唯一の猫だったので、ボランティアさんたちは困ったことがあればたーちゃんに頼んでいたようです。それをたーちゃんは夜の猫会議で僕たちに伝えてくれました。

でも遂にたーちゃんとお別れする日がやってきました。2012年12月末、たーちゃんと僕は病気で倒れ、ともに動物病院へ運ばれました。僕は猫かぜで一泊した後、庭園に戻されました。しかし、たーちゃんは極度の低体温症に罹っており、入院して持ち直したのですが、そのまま寒い庭園へ戻すことができなくなり、僕の飼い主宅へやってきました。当時、飼い主宅にはすでにさっちゃんがいましたが、お互い頭のいい老齢猫同士、喧嘩することもなく一緒に暮らすことになりました。この時も、僕の飼い主の友人や知人が3人、たーちゃんを引き取りたい、と名乗り出てくださったのですが、やはりご縁がなく、結局たーちゃんはさっちゃんとともに僕の飼い主宅で暮すことになりました。


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一方僕は、たーちゃんが庭園からいなくなったため、他の猫たちの虐めにあい、裏の公園の茂みの所で一匹でひっそりと隠れるように生活していました。一日に一回ボランティアさんたちが餌やりに来ると、必ず「ガンバ!」と声をかけてくれたので、その時は庭園の中でその他の猫たちと一緒に食餌をもらっていました。ボランティアさんたちがいる時は、その他の猫の襲撃を受けることはありませんでした。

最初の日からたーちゃんは人懐っこく、飼い主の布団の中に入り込んで一緒に寝ていました。夜中に物凄い力でたーちゃんが体を押付けてくるので、飼い主は布団から押出され、あっけにとられてたーちゃんの寝顔をただただ見ていたとのことです。たーちゃんは元の飼い主のおばあちゃんに相当可愛がられていたのでは、と僕の飼い主が当時を思い出し懐かしそうに話してくれました。


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その後たーちゃんは糖尿病に罹っていることが判明。定期的に動物病院で治療を受けたり往診をしてもらい、家でもインシュリンを毎日打ってもらう生活でした。その頃、たーちゃんの足が膿み出し、抗生剤で抑えていました。でも、たーちゃんはくじけることなく、たーちゃんを慕って訪ねてくるにんげんたちに愛想をふりまき可愛がられていました。


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2013年6月末、「ねこころ」という雑誌の編集者とカメラマンが、「ご長寿猫の特集」でさっちゃんとたーちゃんの取材にきてくださいました。この時が、さっちゃんとたーちゃんの最も楽しい時だったのではないでしょうか。詳しくは、「ねこころ9月号」(2013年)を見てくださいね。その時、まさか2ヵ月後にたーちゃんが突然虹の橋を渡ってしまうとは、誰も思いもしなかったそうです。


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yohaku撮影:芳澤ルミ子さん


2013年8月21日、僕の飼い主たちが所用で都心へ行き帰って来た時、たーちゃんが痙攣を起して倒れていたそうです。飼い主たちは、「たーちゃん!」と呼んでもたーちゃんが出て来ないので、おかしいと思いすぐたーちゃん部屋へ行き、たーちゃんが倒れているのを発見。すぐかかりつけの獣医さんに電話し、急遽車でたーちゃんを動物病院へ運びました。その日は動物病院の休診日だったのですが、運良く獣医さんと連絡がつき、病院へ運ぶことができたそうです。その日の朝、飼い主たちが出かける時、たーちゃんに「さっちゃんと仲良くお留守番していてね。すぐ帰ってくるから」と話しかけると、たーちゃんは「了解!」と言わんばかりに「にゃ〜!」と応えてくれたのが最後になったそうです。

2013年8月22日早朝、たーちゃんは夜を徹した獣医さんの看病の甲斐もなく、獣医さんに看取られ虹の橋を渡ってしまいました。ボランティアさんやたーちゃんを知るにんげんたちは、突然のことに呆然とし、ただただ現実を受入れざるを得ませんでした。

いまたーちゃんのお骨は、初代のガンバさんやさっちゃんと同じ他県のお寺に納められています。


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拝啓、たーちゃんお元気ですか?きっと今頃は虹の橋のむこうで、飼い主のおばあちゃんと楽しく暮していることでしょうね・・・庭園で一緒に生活をしていた時は大変お世話になりました。僕を必死に庇ってくれたたーちゃんのことを、僕は生涯忘れません。いつか虹の橋のたもとでたーちゃんに会える日を楽しみにしています。たーちゃん、それまでお元気で!

ガンバより






(平成26年6月2日)