さっちゃんの納骨

先日さっちゃんの納骨のため、他県のお寺へ出向き供養をして頂きました。そこにはさっちゃんと同じように高齢の地域猫だった初代のガンバ君とたーちゃんも納骨されています。49日(2月10日)はとっくに終わっていたのですが、今年は大雪の影響、ご住職とこちらのスケジュールが合わず遅くなってしまいました。

(誤解のないように書いておきますが、ペットの供養はあくまで送る側の人間の気持ちで行うものであり、何もしなかったからそのペットが不幸になるということはあり得ません。心の中で手を合わせ、可愛がっていたペットを追想するだけでも十分な供養になります。)

昨年の12月半ば、さっちゃんが再入院し酸素ルームに入った時、もうこれでさっちゃんとも今生のお別れかもしれないという予感がしたので、さっちゃんには、「さっちゃん、苦しかったら我慢して私たちが駆けつけるまで待つ必要はないからね。あとは任せて、さっちゃんはすぐに旅立ちなさい。また会おうね!」と何度も言い聞かせました。その後さっちゃんは大好きな先生に看取られ、12月24日クリスマスイブの早朝に旅立ちました。でもさっちゃんは義理堅く、亡くなる前日の早朝に私に会いに来てくれました。寝ているとさっちゃんの声がするので飛び起きました。しばらくはさっちゃんの懐かしい鳴き声(あの物凄いドラ声ではなく、甘える時の優しい鳴き声)に浸りながら、さっちゃんを引き取ったこの1年10ヶ月間を追想していました。

追記:

猫は死を前にしてでも、飼い主が自分が帰って来るまで待っているようにと言うと、苦しくても飼い主の言葉を律義に守り待っているそうです。これはご住職から実際にあった話として聞きました。また同じことが獣医師の先生の本にも書いてあります。このことが頭から離れなかったので、さっちゃんには私たちがいなくても待っている必要はない旨言い含めました。辛いけれど、自分たちの都合でさっちゃんを無意味に長く引き止めることはできなかった。本当はもっと生きていて欲しかったのですが・・・

また、ペットは自宅で最期を看取るべきだという意見もありますが、私はケース・バイ・ケースで一概には言えないと思います。ペットの命がもう尽きるという段階で、どうしたら苦しまずにこの世の生を終えることができるか、を考えてあげることが一番大切ではないでしょうか。


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2014年3月15日